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招き猫の発祥の地

 

招き猫にまつわる話をいろいろみてきて、
ちょっと年代別に並べてみました。
歴史は苦手で年号も書いてみてから
「へぇ〜そうなんだ」と思うこともしばしば。
単に並べてみただけです(^^;


 

年代

招き猫にまつわるできごと

世の中のできごと

1477年 文明 江戸開府以前、江古田ヶ原の戦で太田道灌が黒猫に救われる  
1520年 天正   今戸焼(瓦焼)成立
1596年 慶長   豊臣秀吉死去・慶長大地震他地震多発 ・徳川家康征夷大将軍に
1615年 元和   徳川家康死去・吉原遊郭の解説許可
1624年 寛永   鎖国令・田畑永代売買禁止令
1644年 正保  
1648年 慶安   慶安御触書・由比正雪の乱(慶安事件)
1652年 承応   伊万里焼成立・仮名草子の流行・旗本奴、町奴の流行
1655年 明暦   明暦の大火(振袖火事)
1658年 万治 豪徳寺で井伊直孝が猫に招かれ難を逃れる。猫塚作る  
1661年 寛文   寛文美人画の流行・シャクシャインの戦い
1673年 延宝   新吉原の隆盛
1681年 天和   九谷焼成立
1684年 貞享   将軍綱吉「生類憐みの令」
1688年 元禄 吉原遊女薄雲太夫愛猫に救われ、猫塚作る西方寺 今戸焼の一文人形が浅草で流行・八百屋お七の江戸大火・元禄歌舞伎の隆盛・井原西鶴らの浮世絵草紙流行・赤穂浪士討入り
1704年 宝永   伊勢参り流行・絵島生島事件
1711年 正徳   芝居絵流行
1716年 享保   享保の改革・享保の大飢饉
1736年 元文   元文一揆
1741年 寛保   公事方御定書制定
1744年 延享   人形浄瑠璃
1748年 寛延   播磨大水
1751年 宝暦 「近世江都著聞集」(1757)遊女薄雲伝説 宝暦事件・百姓一揆・木綿の普及
1764年 明和 貞女の冥福祈る猫面地蔵尊が自性院に奉納される自性院 伊勢お蔭参りの流行・明和事件・錦絵の誕生・明和の大火
1772 安永 「江都二色」1773 ロシア船来航・解体新書
1781年 天明 本所回向院前と一つ目弁天前に金猫銀猫を飾った2軒の娼家が繁盛 天明の大飢饉・打ちこわし洒落本・黄表紙・滑稽本・人情本の流行
1789年 寛政 「親子草」1797金猫銀猫を伝える・招き猫が流行・今戸焼の招き猫が作られる 寛政の改革・棄損令・落語の禁圧・町人に御用金課す・寛政異学の禁
1801年 享和 招き猫の流行が絶頂期迎える 十返舎 一九の東海道膝栗毛
1804年 文化   浮世絵が全盛期・歌川国芳、猫の絵を多く描く・伏見焼の福助が作られる
1818年 文政   シーボルト事件・異国船打ち払い令・清水焼成立
1830年 天保 偽永春水の人情本「春色傅家の花」に親孝行で猫を作る土人形屋の娘の話 天保の大飢饉・天保の改革・全国で打ちこわし
1844年 弘化   大塩平八郎の乱
1848年 嘉永 浅草花川戸の老婆の夢枕に愛猫が立ち、「我が姿を人形に作れ」と言ったとして浅草観世音参道で丸〆猫が売られ流行

ペリー来航・尊王攘夷論・大地震続く・コレラ流行・

今戸の尾張屋兼吉・丸〆猫を製作

岩手の附馬牛人形創始

 

 

   

 

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